hibinodekigoto*

地震・・・

なんだか地震のあった3月11日以来、文章も書く気にもなれず
言葉という言葉が全然出てこなかったのですが、
こうやって記すことも必要なんだと思い、手を動かそうと思います。


まず、初めに、

この度、被災された方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、
まだ安否不明の方々のひとりでも多くの命が救われ、
被災地の皆様が一日でも早く心穏やかに
暮らせる日がくることを心よりお祈りいたします。



私は3月11日、保護者会で娘の小学校の教室で地震に遭いました。





娘は同じクラスのお友達のお家で二人で遊んで待っていると帰宅し、
息子は幼稚園の延長保育中。。。
子供たちとバラバラでした。

保護者会の最中だったので、先生の指示で子供たちが避難訓練で行っていたように
机の下へ頭を隠し、子供の防災頭巾で頭を保護。

今まで体験したことのない大きく長い地震に、
頭隠しながらも子供だけで地震に遭った娘達のことが心配で心配で・・・

うちの娘と一緒にいたお友達のお母さんが、
携帯やおうちに連絡するも全然繋がらず。。。

私は私で携帯で震源地を調べると…

宮城県沖震度7強という表示に思わず手が震えました。

私の実家は仙台市若林区。。。

娘のことと同時に両親のことが頭に浮かびました。

東京でも震度5という地震。


余震の続く中、校庭で解散となった保護者会を後にし、
娘の待つお友達のお家へ向かいました。

私の住む地域は地震最中に停電。
信号も消えていました。

もうすでに近くの道路は渋滞気味…
お友達のお家に車を駐車させてもらっていたので、
娘を車に乗せ、一度自宅に帰り、家の様子を見てから
息子を迎えに行くことにしました。

家の中は鉢植えが倒れ、土だらけ、
旦那さんの部屋は上に置いていた本が落ち、
娘の部屋は本が一面散乱、
クローゼットは上段に収納していた収納ケースが落ちてました。

でも、幸い割れたりしていた物は無かったので
すぐに息子の幼稚園へ迎えに向かいました。

家に帰宅後、相変わらず停電・・・
暗くなる前に…と思って懐中電灯やランタンを探すも
パパさんがいないと何も出てこない我が家。。。(泣)

そうこうしてる間にすぐ暗くなり
とりあえず見つけたろうそくに火を付けて
子供たちと待とうと思いつつも

この時は両親とも連絡は着かず、
都心で仕事をしている旦那さんとも連絡着かず…で

子供たちの手前、冷静を装ったふりしながら
恥ずかしながらもプチパニック。

子供たちのことも考え、

そんなときは…と
パパさんが帰宅されてた同じく東北がご実家のご近所さん宅へ移動。

我が家の声を聞きつけたお友達も合流。

ホント、一緒にいてもらえて助かりました。

余震が来るたびびくびくしながらも
子供たちを寝かせ、

ラジオと友人の携帯電話のテレビで情報を聞き、

なかなかつながらない携帯で旦那さんと両親に電話をし続けると…
一本の電話が。

義母からの電話でした。
パパさんは日本橋から歩いて5時間かけて三鷹の実家まで帰り、
そこから義父の自転車を借りて町田の家へ向かったとのことでした。

胸を一撫でし、帰りを待つことに。

旦那さんがそろそろ帰宅しそうな時間になったので、
一度自宅へ戻り、メモ書きを残し再び友人宅へ戻ろうと
玄関を開けると、街灯が点いてました。

午後11時半頃でしょうか…。
やっと電気が復旧しました。

もう一度家へ戻り、ブレーカーを戻し、
玄関の電気を点けて友人宅へ戻りました。

約8時間の停電でした。



全然情報がなかったので、テレビを点けると…

唖然。

なんかしばらく信じられない状況でした。
凄すぎてこの時は涙さえ出てこなかった。

・・・と考えてるのもつかの間、

パパさんが無事帰宅。
なんとかその日の内に帰宅できました。

でも夜中の12時。
子供たち二人も寝ているので、
この日はそのままお友達のお家にお泊りさせてもらいました。

・・・と言ってもテレビはつけたまま、
緊急地震速報の度にドキドキしながら
宮城の情報も見つつ、両親、友人に連絡しつつ、
全然繋がらない電話にもどかしさを覚えながら

余震や余震の情報に寝れずに
緊張しながらの夜を明かしました・・・
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by kao-home | 2011-03-22 11:46 | ヒトリゴト
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